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「左OBが怖くて1年間ドライバーが持てなかった」【長野泰雅のチーピン克服物語】<前編>

いつもノリが良く明るい長野泰雅。しかし昨年は人知れず苦しみを抱えその笑顔が陰ることも多かった。それは“チーピン”という厄介な病を抱えていたからに他ならない。どうやって克服したのか

TEXT/Yumiko Shigetomi PHOTO/Hiroaki Arihara、Tadashi Anezaki THANKS/フォーティネットプレーヤーズカップ

長野泰雅 ながの・たいが。九州の名門、沖学園3年時にQTに挑みプロ転向。翌22年にルーキーながら賞金ランク30位につけ初シードを獲得。23年の「JAPAN PLAYERS CHAMPIONSHIP」ではプレーオフで遅くも敗退。25年9月のロピアフジサンケイクラシックで初優勝を遂げる。福岡県出身の22歳

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たまにあったチーピンが
頻発するようになった

高校3年生でプロ転向し、翌年にはシード権を獲得。さらに翌23年には優勝争いを経験と、順調にプロ生活を歩んできた長野泰雅。ところが23年に37位だった賞金ランクが24年は57位まで落ちてしまった。昨年は一体、何があったのか?

「僕はもともと持ち球がドローだったので、昔から時々チーピンが出ていたんです。でもそれが頻繁に出るようになってしまいました」

キッカケはドライバーを替えたことだった。飛距離は伸びたが曲がるようになり、曲がることを恐れてスウィングも悪くなるという悪循環に陥ってしまったようだ。

「左が怖いから右を向いて打つと余計にチーピンして、次はそれを嫌がって右にプッシュという繰り返しでした。ドライバーを持てなくなって、昨年はほぼ3Wでティーショットしていました。飛距離のアドバンテージがなくなってつらかったですね」

チーピンが出ると次は右プッシュ……その繰り返しだった

24年は3Wでのティーショットが増え飛距離が落ちたが、FWキープ率は上がった。しかし長いクラブでグリーンを狙うことになりパーオン率が23年の9位から60位まで急落した(※2025年のデータは11月2日時点のもの)

チーピンから逃げる
ことをやめ向き合った

そんな状況でもシード権をキープできたことが驚きだが、アプローチが卓越して上手いから飛距離ロスをカバーできたということか?

「アプローチは得意ですけどパターが苦手だったので、半分は予選落ちでした。唯一、日本オープンではラフが深くてみんながドライバーを使わずに3Wとかで打っていたから、2打目を同じ位置から打てて8位に入れたんです。その1回のトップ10内フィニッシュでギリギリシードが取れたという感じでした」

1年間ずっとチーピンを直せなかったのはなぜなのか?

「当時はチーピンが出るのをクラブのせいにしてしまっていたので、ドライバーの練習を全然しなかったんです。練習しても良くならないからと諦めてしまっていました。でもオフになって、チーピンはスウィングを直さないと克服できないなと思って、練習を始めました」

心機一転、クラブも替えてチーピンと真剣に向き合い、今季の開幕までに完全に封印することに成功したのだ。

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週刊ゴルフダイジェスト2025年12月9日号より