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【インタビュー】小田孔明<後編>「日本のゴルフ界が良い方向へ進むためにできることを」

先日、ツアーの第一線から引く決意をした小田孔明。その決断の理由は何か、自身の進む道はどこにあるのか。天才軍師に由来する名を持つ47歳の男の人生の選択とは――。

TEXT/Masato Ideshima PHOTO/Tadashi Anezaki

小田孔明 おだこうめい・1978年生まれ、福岡県出身。7歳でゴルフを始め東京学館浦安高校へ進学。00年プロ転向、初シードは07年。08年の初優勝後は勝利を重ね、14年に賞金王獲得。15年連続シードを保持する。ツアー通算8勝。名前の由来はもちろん、三国志の諸葛亮孔明だ

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『チーム孔明』は、若い選手同士が
刺激を与え続ける場所でありたい

GD 時代とともに男子ゴルフも変化していると思いますが、今のツアーはプロの目にどう映っていますか?

小田 女子が人気で男子が低迷と言われますが、男子がダメというわけでは絶対ないと思います。そもそもゴルフをする人口が同じならどちらかに人気が偏るのは当たり前のことで、そこは不思議に思っていないんです。もちろんいろいろな改革が遅かったのは事実だと思いますが、男子の技術の高さだったり、世界で戦える選手が増えているのも事実です。それに好き嫌いって絶対にあるので、言い方は難しいですけど男子ゴルフが嫌いな人は見なければいい。僕たちは見てもらえるようにいいプレーをして、魅力を感じてもらえるように努力するだけですが、今の時代は何か悪いところばかりを取り上げられる感じがしています。そこはメディアにもお願いしたい点ですが、実際スポンサーさんからのプロアマの評判はいいですし、自分から見ても今の若い選手たちの礼儀はできていると思います。今の時代はSNSなんかで簡単に発信したことが事実として伝わってしまうから、なかなか難しい時代だとは思いますが。

GD プロ自身がYouTubeで発信している目的は?

小田 別に儲けようなんて全く思っていないんですよ。実はイメージというか小田孔明ってどんな人かを知ってもらおうと思って。

GD 十分知られていると思いますよ。

小田 いや、そうではなくて、僕のことを怖い人だと思っている人が多いんですよ。顔と体だけ見て、死ぬほどお酒飲みそうとか、怖そうだとか思ってまったく近づこうとされないんです。全然お酒も飲めないのに(笑)。

「僕は、まったく怖い人でもないし、お酒も飲めません!(笑)」

小田孔明はよく笑う。笑顔愛敬、和顔愛語の福神であり、富財の神として信仰されてきた“えべっさん”(恵比寿さん)のようだ。漁業の神でもあるので、釣りを趣味とする小田にぴったり!?


GD なるほど。ではプロの場合、効果的にSNSなんかを活用しているわけですね。

小田 今の若い選手たちも、もっとやっていいと思いますよ。自分を売るというか、もっと発信して知ってもらえることをする。自分を追い込むわけではないですけど、そうやって発信すれば変なことはできないし、強くもならないといけない。プロはもっと自分で自分を売り込まないと。

GD そう言えば「チーム孔明」では、そのあたりも積極的に指導しているとか?

小田 指導しているわけじゃないです。「チーム孔明」といってもみんなを教えているわけではないんです。だから師匠とか弟子とかとはまた違う。最初は6人くらいで始めて、そこに北村晃一がいて、そこから(出水田)大二郎とか(秋吉)翔太が入って、また広がってという感じで、今では40人ほどがいるんです。目的の一つは若い選手がツアーに出たときに「チーム孔明です」って言うだけで周囲のプロの見方が変わって、居やすくなる。そんな手助けになればという思いがあります。それと合宿なんかもやっているんですが、実際合宿に参加するのもお金がかかるもの。そこをできるだけかからないようにするために、スポンサーさんを呼んでお金を出してもらってプロと一緒にラウンドしてもらっているんです。

GD プロアマのような感じ?

小田 そうですね。でも、出してもらったお金を賞金として使い競うので、試合勘が養えて、さらにはそこからスポンサーになってくれる人が見つかる可能性もあるんです。その代わり僕は毎日スポンサーさんへの接待が大変ですけどね(笑)。でもみんな笑って帰ってくれるし、向こうから次の合宿いつですか? って聞いてくれるほどなんですよ。

GD プロが自分を売り込む場でもあるわけですね?

小田 そうなんです。もっと言えば、若い選手ら同士で刺激を与え続ける環境を作りたい。今年優勝した(長野)泰雅もそうですが、「泰雅ができるなら自分にもできる」と思える環境がチーム孔明にはあります。自分に自信を持てる、そういう気持ちになってほしいからやり続けています。

来るもの拒まず去るもの追わずの「チーム孔明」。ベテラン陣が作り上げ、久常涼や長野泰雅ら若手が駆け抜けていった場所でもある

シニアで賞金王!
そして良きゴルフ界のために

GD プロにとって人生のターニングポイントを教えてください。

小田 それはいろいろとありますが、ゴルファーとしてという意味ではやっぱり手嶋多一さんとの出会いですね。小学校1年のときに父親に手嶋さんのお父さんがやっている練習場に連れていかれて、そこで初めて多一さんが打っているのを見ました。多一さんは中学生だったと思いますが、なぜか「この人はすごい」と思ってそれで父親に「僕もやってみたい」と言ったことを覚えています。そこから始まったゴルフ人生ですけど、本当に良い出会いに恵まれた人生だと思います。良い人に巡り会えたから、またそこから良い人との出会いにつながっていった。本当に運が良かったと感じています。

GD 約2年後のシニアツアーへの準備をするとのこと。今後の目標を改めて聞かせてください。

小田 そこは悩んでいるところなんですよね。50歳になってシニアツアーで賞金王ということは目標になるとは思いますが、そんなに長くはできないと思っています。シニアのレベルはそんなに甘くはないですし、だからこそいかに次世代に自分の考え方を伝えていけるかということも考えています。男子ゴルフが、日本のゴルフが良い方向に向くように自分なりにできることはやっていきたいと。そのためにはまずは身近にある九州から、と思っています。もちろん今でもいろいろな取り組みをしていますが、それを日本という規模で変えていくには一人で変えようとするのではなく、同世代も含めてみんなで同じ方向を向いて動かなければ変わらないと思うんです。ゴルフ界が良い方向へ進む一助になればと思っています。

JGTO現選手会長の谷原秀人とは同期。一人でやろうとせず、地元九州の仲間、支えてくれる方々、ゴルフに関わるすべての人々と“共闘”する覚悟だ

週刊ゴルフダイジェスト2025年12月9日号より