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【新春インタビュー】竹田麗央<前編>「人のこととかあんまり気にならないから、ゴルフに向いているのかな」

2024年、初優勝から怒涛の8勝を挙げ(メジャー2勝を含む)、あっという間に女王の座を手にした竹田麗央。この勢いで2025年はアメリカツアーに参戦する。しかし、竹田はいつ会っても“ホンワカ”ムード。そんな21歳の強さに迫る!

PHOTO/Norimoto Asada、Shinji Osawa

竹田麗央 2003年熊本県合志市出身。ヤマエグループHD所属。6歳でゴルフを始め、熊本国府高校卒業後2021年プロテスト合格。趣味は野球観戦、キャッチボール。“推し”の選手はオリックスの山下舜平太

年間女王
竹田麗央の鈍感力

竹田麗央もその家族も、1年前は思いもしていなかった24年の結果にただただ驚いている。アメリカツアーも夢ではあったが「10勝して23歳くらいで」挑戦できたらいいと思っていた。しかし、すべては変わった。

24年の活躍は確かに神がかってはいた。プロ初優勝を地元熊本で飾ったかと思えば翌週も優勝。毎週のように優勝争いに顔を出し、全米女子オープンでは9位に。全米女子プロ、エビアン、全英女子オープンも経験した夏からは、日本のメジャーをソニー日本女子プロ選手権、日本女子オープンと連勝してしまった。「(日本ツアーの)複数年シードが取れたのでアメリカのQスクールに挑戦する気持ちになった」という直後、TOTOジャパンクラシックで優勝し、アメリカの出場権もゲット。そして最終的には年間女王となった。

竹田は小2のときの文集には「スピンがかかるボールを打ちたい」、小6では「賞金女王」と書いた。しかし、すべてが順風満帆だったわけではない。23年に勝てそうで勝てなかったことも、24年で一番悔しかったというヤマハレディースの優勝争いで「今考えたらもったいないミスが何個も。その1打1打が悔しい」と敗れたことも、いつの間にか糧にし、結果につなげるのが竹田なのだ。

「写真はだいぶ“撮られ慣れ”ました」。小6ですでにプロゴルファーになろうと思った。「ちょうどイ・ボミさんが活躍されていて。強くてかわいくてすごい人気で、私もなりたいなと」

竹田は自他ともに認める「負けず嫌い」だ。24年に予選落ちした5試合の翌週はすべて5位以内、優勝も2回ある。秋にはショットが乱れ、予選落ちしたマスターズGCレディースでは悔しくて涙した。「予選落ちするとは思っていなかった。年間女王争いの大事な終盤戦での予選落ちだったので……」。今年の点数は100点満点で99点。1点は「何試合か優勝争いで負けたり、最後のリコーカップで最終日に崩れたこと」。この1点が成長と次の結果を生む。

竹田が今年一番嬉しかった1打は、6ホールにも及ぶプレーオフに決着をつけたTOTOのバーディパットだという。「あのときパターの調子があまりよくなくて、あのパッティングも出球が全然違うところに出たのでまた外れたかなと思ったんですけど、最後に入ってくれたのでラッキーですごく嬉しかったんです。ふふふ」

「運も実力のうち」――竹田麗央は、そんなことすら思っていない。「今年はラッキーなことがたくさん起こって優勝できたので、本当に運がよかったなと思います」。

綺麗な景色を見ることがリラックス法。地元、南阿蘇の景色が好きだ。「エビアンのとき、近くの山にロープウェイで登ったんです。その景色がめちゃめちゃ綺麗で、阿蘇といい勝負です。コースは嫌いですけど。ふふふ」

竹田は自他ともに認める「マイペース」だ。所属するヤマエの会長が竹田を評して“鈍感力”が強いと言った。「確かに、人のこととかあんまり気にならないから、ゴルフに向いているのかなと思います。ふふふ」

「自分を見失わないこと」――多くの者が手に入れたくて苦労していることを飄々とやってのける。これこそが竹田の“鈍感力”なのだろう。

竹田はよく「ふふふ」と笑う。それは、自分のなかにある自信を隠す謙虚な笑いでもあると思う。そういえば、仲良しの小祝さくらも同じように笑う。「さくらさんも結構、鈍感なので。あ、さくらさんにもアメリカに行こうと何回も話をしているんですけど、全然(興味はない)ですね」。鋭い発言をしても、そのホンワカした雰囲気で笑いに包まれるのだ。

LPGAのツアーメンバーの権利を勝ち取ったパット。「ラッキーで入った」ので嬉しくて、普段はしない“ガッツポーズ”も自然に出た

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週刊ゴルフダイジェスト2025年1月7・14日合併号より