全米シニア2位! 藤田寛之インタビュー「最終日の朝を2度迎えるとは思わなかった…」
6月末、世界一のゴルファーを決める「全米シニアオープン」がニューポートCC(ロードアイランド州)で開催された。その大会で初日から最終ラウンドまで首位に立っていた藤田寛之。プレーオフの末、惜しくも2位と日本男子初の快挙はならなかったが、一躍“時の人”となった藤田に同大会を振り返ってもらった。
PHOTO/BKコーポレーション、USGA、Getty Images
藤田寛之
1969年生まれ、福岡県出身。葛城GC所属。23年間レギュラーツアーでシード選手として活躍。ツアー18勝を挙げ、2012年には賞金王にも輝く。昨季、悲願の国内メジャー、日本シニアオープンを制覇。2023シニアツアー賞金ランク3位の資格で全米プロシニア、全米シニアOPに出場し、7月末の全英シニアOPにも参戦
「リーダーボードの名前を
写真に収めたかった」
――初日はノーボギーの7アンダー。見事なスタートでした。
藤田 7アンダーか……。昨年の全米シニアオープンはトータル13オーバーですから初日のスコアと比べて20打差です。優勝したB・ランガーもトータル7アンダーでしたし、昨年のセントリーワールドが難しかったんですね。初日はグリーンがしっとりしていてボールも止まりやすく、静かに転がる感じでした。ただ飛ばし屋には難しかったかもしれません。スピンで戻り過ぎてしまうからです。ティーショットは1回ファーストカットがあっただけで、グリーンは2回しか外していません。ミスが少なければ、スコアは出せるという印象でした。1番でバーディ、そして4番から3連続バーディでトップに立ったんです。そのとき、リーダーボードに出た(1位の)自分の名前を写真に収めたかったくらいです。ボクのレベルだと2日目からスコアを崩しますからね。リーダーボードにボクの写真がバンバン出始めて、ギャラリーも声を掛けてくれるように。途中で見放されないように頑張ろうって思いましたね。
――2日目は5バーディ、1ボギーの66。さらにスコアを伸ばして単独トップに。その要因は?
藤田 2日目を終えて単独トップはすごいことです。海外メジャーですし、全米シニアは世界一のゴルファーを決める大会です。日本の男子はUSGAの大会で勝ったことがないですから、よく頑張っているのかなって思いました。2日目のプレーを振り返ると、いいショットも多かったし、ラッキーも多かったです。上手くマウンドや傾斜を使うことができました。フェアウェイは日本と比べてかなり広いですし、狙うエリアも広めです。そのエリアに持っていければ、大舞台でもトップに立てる、ということなのでしょう。小沼キャディとも話していたのですが、このコースには“ニューポートの女神”がいるんです。しかもグリーン右サイドに。ニューポートCCはリンクス風ですが、グリーン周りが少し違うんです。手前の花道から転がせたり、グリーン周りの傾斜が利用できます。とくに右斜面が多くて、その傾斜で戻してくるみたいな攻め方ができたんです。だからグリーンの右サイドに女神がいるなってずっと小沼キャディと話していました。
――今大会はFWキープ率が高く、ショットが安定していましたが、スウィングがラクになったとは、どういう意味ですか?
藤田 チームセリザワの遠藤正人プロが教えているのを見て気付かされたんです。自分がいつも言っていることなんですけど、ボールを打つ動作と投げる動作は一緒だということです。脚、腰、胸、肩が回って最後にリリースする。その動きを意識しただけです。それでラクに振れるようになりました。ボクの悩みはフェースが開くことですが、開くタイプのゴルファーは最後にリリースするのを嫌がります。その結果、早く閉じようとして右サイドがかぶってしまうんです。ラクに振れているのは事実ですし、振りやすいからその練習ばかりしていました。自分のなかでは弾道の安定度はまだまだで、FWキープ率がいいと言われても不思議な感じです。
「ニューポートの女神がグリーン右にいたんです」
セカンドが220Y以上になることも多かった藤田は5Wで何度も攻め続けた
「いつも通り最終日を楽しもう。
その感覚は4日目まであった」
――予選ラウンドを単独首位で通過。いよいよ決勝ラウンド。プレッシャーはなかったですか?
藤田 さすがにスタートは緊張しました。少しぎこちなさもあった気がします。プレッシャーを感じようと思えば、いくらでも感じられる状況でしたが、自分がつかめるほどの大きさではありません。海外メジャーで30位以内に入ったことがないんですから。日本のツアーだったら優勝経験もあるし、メンバーもコースも知っていますが、海外メジャーでは無理です。だから優勝を狙います、なんて言えません。ボクの目標は20位以内に入りたい、それだけでした。
――3日目、3バーディ、ノーボギーの67。ここまで毎日スコアを伸ばしています。
藤田 確かにそうですね。3日目はFWキープ率100%でした。手前の花道を使って転がしながら上手く攻められました。3日目も3アンダー。もう笑うしかない状況です。寝られなかったらどうしよう。小沼キャディに一緒に寝ようって言ったくらいですからね。
「3日目もトップは大変なこと。寝られなかったらどうしよう」
最終組はS・ストリッカー選手とR・グリーン選手でしたが、めちゃめちゃ緊張感がありました。メジャーにかける気持ちは、海外選手のほうが大きいです。ボクもそうじゃなきゃいけないんですけど、思った時点で終わる気がしました。残り1日。自分がいいスコアを出せれば勝てるところまできましたが、考えるだけムダです。3日目でトップにいることはボクにとって大変なことですけど、街中に行けばスーパースターです。スーパーやバーのお客さんからたくさん声を掛けてもらえて、まるで“時の人”みたいでした。
――そして最終日。3日目までの天候とは打って変わり、霧、風、雨という厳しい状況でした。
藤田 スタートから風が強くて霧も濃かったです。最終日ですから緊張はありましたが、1番から“ニューポートの女神”に助けられました。右斜面からボールが戻ってくる場面が何回もあって、前半で3バーディ、1ボギー。風で20Yくらい戻される状況下で、スコアを2つ伸ばせたのはすごくよかったです。ただ、10番でサスペンデッド。正直、びっくりしました。できれば、そのまま行きたかったです。順延は仕方がないですが、まさか中止になるとは……。通常、1日で終わるはずの最終日の朝を2度経験することになるなんて思わないですからね。
「正直、中止にはびっくり。できればプレーしたかった」
――順延となった5日目。残り8ホールを3打差リードでスタートでしたが、5日目はボギーが先行する展開になりました。
藤田 3打差で8ホールですから十分なリードでしたが、スタートから連続ボギーは痛かった。やはり硬さはあったと思います。4日目を10番までプレーしたのにそこで中止となり、そこからいろいろ考えてしまったんです。それまでの結果がよかったし、自分の思いも強くなってしまい……。それが過度なスタートの硬さに出た気がします。それに風が変わったことも大きかったです。風が逆になるとコースは別物になります。当然、距離は変わるし、ハザードの位置も変わります。その風をこのコースで経験したことがありませんでした。練習日からずっと南風だったのが5日目は北風。だから“この風、嫌だな”って反応してしまいました。ボクのスタンスは、いつも通り最終日を楽しもう。そしてメジャーという場所にいられることを光栄に思いながらプレーしよう。このスタンスは4日目までスムーズに作れていました。ですが、5日目はそうではなかった。11番、12番、14番でボギー。5日目の内容で考えれば、よくプレーオフに持ち込めたなという感じです。ニューポートの女神も微笑んでくれたのは4日目まででしたね。
「思いが強く動きも硬かった。それに風向きも変わって」
――5月の全米プロシニアを制したR・ブランドとのプレーオフは、どうでしたか?
藤田 最初に10番と18番の2ホールのスコア合計の勝負でしたが決着がつかず。そして3ホール目でチャンスがきたんです。ブランドが右に曲げてボクはバンカー。少しダフリ気味で寄せきれず……。4ホール目で敗れました。
――5日間の競技を終え、結果は単独の2位。どう思いますか?
藤田 正直に言えば、競技終了後は残念という気持ちが強かったです。その理由は5日目の途中まで首位にいたからです。ストローク差や状況を考えれば、勝てる可能性がありましたからね。ただ、2位は自分にとってベストフィニッシュですし、よく頑張ったんじゃないかなって思っています。3日目が終わったくらいから、自分のSNSに応援メッセージをたくさんいただきました。そこで驚いたのが「感動した」「ありがとう」という言葉です。ボクは一生懸命プレーしただけですが、それを見た人たちが感動したと言ってくれたことは、とても嬉しかったです。現地の人たちからも「ナイスプレー」と声を掛けてもらい、それもありがたかった。優勝まであと一歩、届かなかったですが、そこまで行けたというのは大きな収穫です。とても幸せな時間でした。応援してくれた方々に感謝したいです。
現地の人たちは「フジー」と応援。初日から首位の藤田は人気者だった
週刊ゴルフダイジェスト2024年7月23日号より